前々回のブログで、NHKスペシャルの「関東大震災 帝都壊滅の三日間」という番組についてご紹介しました。
その中で、現在の家づくりにおける、地震に対する備えは「耐震」が中心に考えられているが、人口が集中している関東においては「耐火」についての備えも同じくらい重要、というお話をしました。
なぜなら、多くの方が火災に巻き込まれて命を落とされたからです。
RC造は地震に強いとよく言われますが、不燃材料でもあるので、火災にも強いはず、とも申し上げました。
その後、「今から100年前の関東大震災当時、RC造の建物はまだなかったのだろうか?あったとしたらどうなったんだろう?」
と疑問を持ち調べてみたら、ありました。
左の写真、がれきの山の向こうに建つのが、三越呉服店(現在の日本橋三越本店)です。
NHKアーカイブによると、当時、地震の揺れにより、屋上の貯水タンクの配管が破裂して漏水し、消防設備が機能せず、内部は延焼しました。
それでも建物の躯体は焼け残り、100年経った今も、同じ建物で営業しているそうです。
NHKスペシャルが放映された後も、関東大震災から100年の今年は、防災の意識を高めるための番組が、何度も放映されていました。
こちらはその一つ「視点・論点」。
関東大震災当時から、建物に関する耐火基準も厳しくなっていることから、地震発生時の出火件数は少なくなっていてもおかしくない、と思いましたが、
関東大震災 134件
阪神淡路大震災 285件
東日本大震災 398件
と、逆に増えているのです。
これは、当時6千万人にも満たなかった人口が、今では2倍以上に増えていることが大きな原因だろうと解説されていました。
そうはいっても、消防設備や防災体制に関しては、100年前から格段に上がっているので、当時のように、町全体が焼け野原になるようなことはないだろう、と思います。
でも、7年前、糸魚川大規模火災では、100棟以上が全焼、4万平方メートルが焼けました。
4万平方メートルとは、200m×200mの範囲、例えると、甲子園球場(観客席までを含む)と同じくらいの広さに当たります。
この火災のわずか4日後に、街の復興のために営業を再開した、と新聞記事にもなった北越銀行糸魚川支店の様子がこちら。
この火災でも屋内への延焼は防げなかったものの、躯体は残って、割れた窓ガラスにベニヤ板を張り、がれきを片付けて仮復旧工事を行って、営業再開のお手伝いをした、という記事が、地元の建設会社様のサイトに掲載されていました。
そのわずか4か月後、本格的な復旧工事を行った現在の同支店の様子がこちら。
グーグルストリートビューで見たものです。
躯体や窓の位置はもちろん、庇の形状まで変わっていません。
お見事だと思います。
現在の耐震に関する基準は、3段階の等級があります。
その最上級とされる耐震等級3は、消防署や警察署などの防災拠点と同等の耐震性を持つレベル、と定義されています。
でも、大きな違いは、多くの防災拠点が木造ではなく、RC造であること。
あまり気付かれていないことですが、この違いはかなり大きいと思います。
前置きが長くなりました。
完成間近だった賃貸マンション@鎌倉市、無事に竣工いたしました。
左手に見える、レンガ風のタイルに比べ、引き締まったクールな印象。
こちらは、5月に撮影した1棟目の建物を正面から見たところ。
約830年前に日本の中心となった歴史あるこの地にふさわしいプロジェクトでした。
今から100年経って世代が入れ替わった後も、日本橋三越本店や横浜の三井物産ビルのように、古びれることなく、このままの姿で凛と佇んでいるように思います。
内部の様子等は、以前のブログでご紹介しています。
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